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プロフィール
HN:
Dropout Devil(でびお)
自己紹介:
いかつい顔面を持つ31歳悪魔系会社員。
間違っても「小悪魔系」などではございません。
脱サラしてバーテンダーになるのが夢。
Bar開業までの日々をつづっていましたが、我慢できずBAR ARK ROYALの店長として1日営業をしたりしてます。
2012年7月に第一子を出産。子育て後に復帰します。
間違っても「小悪魔系」などではございません。
脱サラしてバーテンダーになるのが夢。
Bar開業までの日々をつづっていましたが、我慢できずBAR ARK ROYALの店長として1日営業をしたりしてます。
2012年7月に第一子を出産。子育て後に復帰します。
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「私たちは無力じゃない、微力なの。微力も集まれば大きな力になるわ」 - 杉本彩
3月11日が過ぎて、今日という日が無事に過ぎ去ったことに感謝している。
あの頃書いた記事は、今でも読むと記憶を蘇らせる。
想いはあふれるけどうまく言葉にできない。
少し、振り返ってみようと思う。
東北地方太平洋沖地震
震災の翌日、ニュース見てたらいてもたってもいられなくて書いた記事。
自分にできることってなんだろうってずっと考えてたのを覚えてる。
2011年3月11日 ある東京の会社員の体験談
最後にもう一回この動画を。
母になる身としては、「こんな世の中に産まれてくるのは きっと選ばれし者だよ」というつぶやきが、あのときと違う意味で響きました。
私はあの時はいなかった命をお腹に宿していて、そのことが、生きているということがありがたいし嬉しい。
これからも、私は私にできることをやる。
子供が希望だというのなら、産んで強く育てるよ。
生まれてきたらあの時のことを話すと決めてるからね!
まだまだ、長い長い道の途中。
微力でもできることを続けて行きます。
私はこの国が好きだから。
Tweet
3月11日が過ぎて、今日という日が無事に過ぎ去ったことに感謝している。
あの頃書いた記事は、今でも読むと記憶を蘇らせる。
想いはあふれるけどうまく言葉にできない。
少し、振り返ってみようと思う。
東北地方太平洋沖地震
震災の翌日、ニュース見てたらいてもたってもいられなくて書いた記事。
自分にできることってなんだろうってずっと考えてたのを覚えてる。
東京のはじっこに住む我が家、もちろん計画停電地域でした。
でも自分が家にいるとき実際に止まったのは一度きり。
この経験も誰かの役に立つかも、と思って書いた記事。
でも自分が家にいるとき実際に止まったのは一度きり。
この経験も誰かの役に立つかも、と思って書いた記事。
ロンドンにいる友人が募金活動をしていることをfacebookで知って、その写真に心打たれて動画を作った。
どうしても葉加瀬太郎氏の音楽に載せたくて選曲したなぁ。
ちなみにこの曲、「Angel in the sky」という名前です。我ながらナイス(自画自賛)。
どうしても葉加瀬太郎氏の音楽に載せたくて選曲したなぁ。
ちなみにこの曲、「Angel in the sky」という名前です。我ながらナイス(自画自賛)。
私はTwitterをはじめたのが遅くて、それは3月の上旬だったのだけど、震災のあと本当にTwitterやっててよかったって思った。
タイムラインに流れてくる言葉たちに勇気をもらっていたから。
そのつぶやきがこのまま流れて消えてしまうのがもったいなくて動画にした。
希望とか勇気とか自分たちでなんとかしようとか、そういう力強い気持ちを伝えたい一心だったからか、自然に浮かんだ曲が Dragon Ashの”Viva la revolution”だった。
駆け抜けよう、ともにこんな時代。あの歌詞が浮かんだんだよ。
タイムラインに流れてくる言葉たちに勇気をもらっていたから。
そのつぶやきがこのまま流れて消えてしまうのがもったいなくて動画にした。
希望とか勇気とか自分たちでなんとかしようとか、そういう力強い気持ちを伝えたい一心だったからか、自然に浮かんだ曲が Dragon Ashの”Viva la revolution”だった。
駆け抜けよう、ともにこんな時代。あの歌詞が浮かんだんだよ。
夏が来て、東京がどんどん普通に戻っていっていることに気付いて、怖くなった。
いつもどおりに戻ることは悪いことじゃないなんだけど、忘れてしまうのが怖かった。
それであの日の記憶を書きとめておこうとおもった。
今読んでも長い長い一日だったなぁと思い出す。書いておいてよかった。いつもどおりに戻ることは悪いことじゃないなんだけど、忘れてしまうのが怖かった。
それであの日の記憶を書きとめておこうとおもった。
最後にもう一回この動画を。
母になる身としては、「こんな世の中に産まれてくるのは きっと選ばれし者だよ」というつぶやきが、あのときと違う意味で響きました。
私はあの時はいなかった命をお腹に宿していて、そのことが、生きているということがありがたいし嬉しい。
これからも、私は私にできることをやる。
子供が希望だというのなら、産んで強く育てるよ。
生まれてきたらあの時のことを話すと決めてるからね!
まだまだ、長い長い道の途中。
微力でもできることを続けて行きます。
私はこの国が好きだから。
Tweet
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もみくちゃの電車を乗り越えてようやく出社したら、ずっと働いてた上司たちがぐったりしていた。ヒゲそってなくて野人みたいになってる人もいた。
数人には交代だといって帰っていただく。
今までの時系列でびっしり埋まったホワイトボード3枚。写真におさめて記録する。
ボスが主要管理職を集めて朝のミーティングをはじめる。写真におさめて記録する。
寝袋片付けたり、全社員の計画停電ブロックを把握したり。ほとんどが震災対応だったけど私のは補助業務で、実際にインフラ装置や電力を守ってるチームは休む間もないようだった。
その日はそんな感じだったけど、翌日、15日火曜日には私は普通の仕事をしていた。
震災チーム以外の社員も普通の仕事に戻っていた。
あえて普通の仕事を普通にして、早く元に戻そうとしてたのだと思う。そうしないといけない、経済がまわらない、と焦っていた。いつもはやらないめんどくさい仕事も率先して片付けた。いてもたってもいられなかったから。きっと他の社員もそうだったと思う。
実は、15日は部の若手による大規模飲み会を予定していた。
個人的には開催したかった。ちょうど自粛の波が押し寄せてきていて、いつか外食をやりたい身としては飲食店を応援しなくちゃという気持ちが強かったから。
でも、計画停電ははじまったばかりで鉄道への電力優先供給はされておらず、帰りの電車がちゃんと動くかわからなかった。
社員が帰れるかわからないから開催できなくて、お店にキャンセルの電話をした。向こうもわかってくれていて、だからもっと申し訳なくて、次に飲むときは絶対にこのお店でやるんだと心に決めた。
せめてひとりでも外食しようとその週のランチはいろんなお店に行ったけど、いつもは行列で入れないお店が簡単に入れて切なくなった。
友人たちと「今なら予約取れない店に入りやすいし、街も空いてるし外食しよう!」とたくさん外食した。「自粛」と戦ってる気持ちだった。
4月の人事異動も凍結になった。異動だー、地元に帰れる!とはしゃいでいた社員は異動ができなくなったけど、正直それどころじゃなくて誰も文句は言わなかった。
自粛や原発や風評被害や脱原発、節電やボランティアや募金や「がんばろう日本」。地方選挙。石原都知事。
聞こえてくるたくさんの声に、今まで考えたこともなかったことに思いを巡らせたり、勇気をもらったり、理不尽な人に少し怒ったりした。
一時韓国に避難した英会話教師と、彼の帰国後原発について語ったりもした。
いつも読んでるブログの人が募金したよーという記事に泣き笑ったりした。
ロンドンにいる友人が参加した募金活動で撮ってくれた写真を動画にしたり、それをロンドンで上映してもらったりした。
大好きなアーティストのライブで、彼女が新潟地震のとき作った歌を聞いて涙した。
原発で作業している人のつぶやきも、日々読んでいる。ただただ、感謝。
そうやって、ゆっくりゆっくり、現実に戻っていった。
でも。
今でも全然終わってなんかいないことはわかっている。
私のタイムラインには現地からの声が流れてくる。
ボーナスなんてないよー。バーゲンって何それおいしいの?大家さんがもう補修できないからアパートつぶすって言ってる。できるだけ悲しくならないように、それでも現実を伝えようとしているつぶやき。
旦那の会社の工場がある福島では社員たちが奮闘しているそうだ。
家族を避難させてひとり残り、働くお父さん。
おれはもう子育ても終わってるから逃げねえよ、仕事持ってこいと言う工場長。
遠慮して仕事をまわさないようにしていた旦那はそんな工場長に勇気をもらったようだ。福島に仕事を送るためにいつも以上に営業をかけて仕事を取ってきて、おかげでものすごく忙しくて、帰宅がとても遅い。
そんな彼を誇らしく思う私がいて、ちゃんと夕御飯を作って迎えたりしている。
会社を辞めた社員もいるそうだ。工場は福島から動けない。それに納得できなかったり、どうしても都合がつかなかった人。自分の健康を守らなくてはいけなかった若い社員。
きれいごとだけじゃない。福島にだって、避難しない奴はバカだって言う人もいる。そうじゃない人もいる。それだけのことなのだ。
みんな、自分のできる範囲でできる限り最善の選択をしているんだ。
あれからもうすぐ4カ月。
あの日に気付いたのは、この平和はずっと続くわけじゃなかったんだということ。
それがあのとき失ったたくさんのものの代わりに得ることのできた唯一のことだ。
これから日本はどうなるだろう。
どうなってもいい。どうなろうと、私はこの国とこの国の人々が好きだ。
だから、大好きなこの国のために自分ができることをやり続けて、笑って生きてやる。
その先に見える未来がどんなものでも。
どうなってもいい。どうなろうと、私はこの国とこの国の人々が好きだ。
だから、大好きなこの国のために自分ができることをやり続けて、笑って生きてやる。
その先に見える未来がどんなものでも。
勇気をくれたたくさんの人たちに感謝をこめて
2011月7月8日 Dropout Devil 拝
2011月7月8日 Dropout Devil 拝
Tweet
朝の6時半に寝て、目が覚めたら夜の8時だった。14時間近く眠り続けていたらしい。
起きたら旦那の後輩は帰っていて、旦那がひとりでテレビを見ていた。
昨日のことを話し合う。
心配されていないみたいでとても悲しかったこと。こんなときにあんな言い方しかできないなら、夫婦ではいられないよなんて話すらした。
旦那の言うこともわかった。確かに会社にいた方が安全だったと思う。
でも旦那も飲酒すべきではなかった。お互い反省して、今後どうするかも話しながらとりあえずの耐震対策をした。
薄型テレビを棚に固定する。
外に出てた食器類は全部棚にしまって、棚をガムテープでとめる。
ちなみに、我が家に被害はなかった。旦那によると、少し上に置いてた雑貨類が床に落ちてた程度だったらしい。
節電、という話が出ていて、あったかくしてエアコンを消す。
もちろん寒かったけど、前日のタクシー待ちの時に比べたら天国みたいなものだと思っていた。
ひとり暮らしの時に思い立って買っていた非常用袋を出して中身を確認したりもした。
旦那がテレビで震災の情報を見ている横で、私はtwitterのタイムラインにはりついていた。
私のタイムラインにはほとんどデマは流れてこなかった。
入ってきたデマはfacebookからで(しかも母親から)、でも「そんなわけないだろう」とすぐ判断できるレベルのものだったし、振り回されなかった方だったと思う。
結局、twitterは「どんな人をフォローしているか」でどんなツールになるかが決まるのだと思った。
私のタイムラインにいるみんなは、必死で誰かを励ましてた。現地の人たちに役立つ情報を伝えてた。落ち着け、と呼びかけてた。募金はここからがいいよ、と提案してもいた。
いてもたってもいられなくて、私もその時すでに立ち上がっていたYahooやTポイントから募金。
少しずつ現地からの声も入りだしていて、胸が痛む。
それでも「日本人はすごいよ」という声がたくさんあって、それが嬉しくて誇らしくて。
前に動画にしたけど、その中に入れられなかったものをここに載せておこうと思う。
私も何かを伝えたくて、このブログを書いた。少しでもこの日のことを伝えられたら、と思った。
土曜日はそうして過ぎて、日曜日は少し食べ物を買って、月曜日はいつも通り出社しようとした。
電力を抑えた都市機能は電車を満足に走らせることができず、中央線の駅は人があふれて入れなかった。
ようやく乗れた電車も、当然ながらものすごい混雑。もみくちゃになって汗だくになる。これが夏じゃなくてよかった、なんて思いながら、携帯でtwitterを見る。
電車混雑してるけど頑張ろうって声。負けないよ、という声に、私自身ものすごくはげまされていたように思う。
続きます。Tweet
ようやく目的の駅に着き、少しの達成感とともに駅前に出た。
Tweet
当然だが、暗い。少し不安になる。
いやいやいや、「バスは走ってる」という情報をあてにしてここまで来たのだ!大丈夫なはずだ!!とまわりを見まわすと、バスなんて1台も止まってなかった。
・・・マジでか?
でもよく考えたら2時半だもんなー、バス終わっちゃったのかな。しょーがないなーとあきらめに似た気持ちになる。
そんな暗い駅ターミナルの中、人が並んでいる一角が。
どうやらタクシー乗り場。
しかしながらものすごい行列。100人くらい並んでるのではないだろうか・・・。
さすがに萎えて、とりあえず旦那に電話しようと思った。
今思えば、電話したって迎えに来れないからどうしようもないんだけど(なんせ飲酒してるからね)、とにかく愚痴でも言いたかったのだと思う。
携帯の電池をもたせるため、すぐそこにあった公衆電話を使う。
電話をしたら、なぜか不機嫌な旦那。
「なんで帰ってきたの?」とか言われる。ええええーーーー。
どうやら家に後輩(男)を連れこんでるようで、彼がそばにいるからってかっこつけてるようだ。そんな状態で会話しても腹が立つだけなので、切る。
家までは5kmだから、歩くと1時間くらいの距離。
1時間なんて余裕だし、災害用にと会社に置いてあったスニーカーはいてきたし(正しくは防災訓練用なんだけど)歩こうか、と思う。でも同期との約束を思い出す。夜遅いから歩いて帰らない、という約束。
twitterのタイムラインにも「夜は危ないから気をつけろ」が流れてきてたし、おとなしく行列に並んでタクシーを待つことにした。
ものすごい人数。ゆっくりしか進まないし、どんどん寒くなってくる。
後ろに並んでいる人が、誰かに電話して迎えに来てもらってる。
それがうらやましくて、自分の旦那は来てくれないことに怒りを覚えていた。
確かに会社にいた方が安全だったかもしれないけど、なんで帰ってきたのかとか言われたらへこむわー。もうちょっと心配しろよー。
いや、心配してるかもしれないけどちゃんと口に出せよー。後輩いるからってとんがってんじゃねーよー。こーゆーときにそれが言えない旦那なんてひくわー。
つーかなに酒とか飲んでんだよ。でかい余震来たらどうすんだよ。飯だけ食え、飯だけ。
などと、自分が「ちょっとやってみたい!」とか軽いノリで帰路についたことを棚にあげて心の中で罵倒。
とても心細ったんだと思う。
そして悲しかった。
思わずさっき別れた同期にメールする。「やっぱり家に泊めてもらえばよかった」と。
すごい深夜なのに愚痴らずにいられなかった。しかし彼女は余震におびえて眠れないようで、お互い心の隙間を埋め合うようにメールをやり取りする。
彼女の彼氏もカラオケに行ったらしく、「ほんとなんなんだよあいつら…」とお互いのパートナーに対して憤っていた。
それでも友人と気持ちを共有できるだけでかなり心は軽くなる。そうやって時間が経った。
ゆっくりゆっくり、列は進む。
パラパラとタクシーが来て、列の人たちがひとりずつ1台に乗る。その様子を眺めながら、同じ方面で乗りあえばいいのになぁと思う。でも何も言うことなく待っていた。自分の番が来たら勇気を出して声かけてまわりと一緒に乗ろう、なんて思ってた。
途中、誰かを迎えに来た車から降りてきたマダムが、「年配の方で○○駅の方、乗って行きませんか?」と列に声をかけてくれた。3~4人名乗り出たおばちゃんたちがお言葉に甘えて乗っていく。
随分列が進んだ頃、自分の番が来たお姉さんが「○○方面の方いませんかー?運転手さんが同乗した方がいいってー!」と声をかけてくれて、何人か同乗をはじめる。
このあたりで、人々は隣の人と話し始めた。
寒いねー、どこに帰るの?会社からずっと歩いて帰ってきたんですよー。僕、もう携帯の充電ないです。ほんとJRなってないよね、なんて会話がまわりから聞こえてくる。
かくいう私も話していた。後ろに並んでた眼鏡男子と。
彼はすっげー痩せてて体脂肪少なめなのにコートも持ってなくて、リアルにガクガクブルブル震えていた。
あまりに寒そうなんで思わず「寒そうですね、大丈夫ですか?」と話しかけてみたら、今日は昼のうちに帰れると思ってたからコートを持って来なかった、帰ろうとしたら地震で電車止まった、と話してくれた。
私はダウンコート&長ズボン&スニーカーだったんだけど、それでも寒いと感じるレベル。そりゃ寒いよねその格好だと。
人々が話し始めて、同乗する人が増えて行く。私の前の5~6人の集団はもうずっとむしろ楽しそうに話していて、3人・3人のグループに分かれて同乗しようと決めていた。
なんかもう、微笑ましい。
彼らの番が来て、予定通り分乗して去っていく間際、私にも「お先に失礼しますねー!」と笑顔で声をかけてくれた。嬉しい。
次は私の番!という時になって、さっきの眼鏡男子にどの辺行くのか聞いてみると、違う方向。他にいませんかー、と後ろに聞いてみると、2人が同じ駅の住人だった。一緒に乗ることに決める。
よかったよかった、と満足してたら、躊躇してたおじさんが「あの・・・もう一人いいですか?」と名乗り出て、もちろんですよ!とパーティに加わることに。これで3人+私。
ほんとこれだけのことなんだけど、少しでも人の役に立てたような気がして少し嬉しかった。
そんなことしてたら、どこかのお兄さんが「バイクでよかったら送りますけど、どなたかいらっしゃいますかー?」と列に声をかけてくれた。
それだけを言いにわざわざ来てくれたんだと思う。
それだけを言いにわざわざ来てくれたんだと思う。
でも、皆さんバイクは躊躇しているようだった。年配の方も多かったし、何より寒かったし。私はもう次がタクシーだったから名乗り出なかったけど、あと20分早かったらたぶん頼んでた。
なかなか名乗り出る方がいなくてお兄さんも「誰もいないですかね」と苦笑いしてたのだけど、結局どなたか名乗り出たようだった。タクシーが来てしまったから最後まで見守れなかったのだけど。
タクシーに乗り込み、運転手さんにいろいろと話を聞く。
一緒に乗った3人はいずれも50代くらいのおじさんで、もう充電がないから家族に連絡できないとか、ワンセグの重要性に気付いたとか、タクシーもはじめから同乗してればよかったよねとか、でもみんなはじめは人見知りしてたんでしょうねとか、JRは情けないとかそんな話をしていた。
一番はじめに降りたおじさんが多めにお金を置いてくれて、最後駅まで行った3人(私含めて)は500円で済んだりして、なんだか助け合ってる感じで心が温まった。
ようやく家に帰ったら旦那と後輩がリビングで寝ていた。
せっかくのいい気分を台無しにしないように、怒らないようにしようと思ってたんだけど、ねぼけまなこでやっぱり「なんで帰ってきたの?」と言う旦那。
後輩の手前かっこつけてるのはわかったが、私は腹立つこと言われたらその場で迎え撃つ派。その場で言わないとフェアじゃないと思うから我慢はしない。だからまずは「地震起きたのにお酒飲むってのはどういうことかな?」と超冷静な正論で苦言を呈した。我ながら可愛くないし感じ悪い。
巻き込まれた後輩はしょんぼりしてた。先輩の嫁(しかも初対面)に怒られるなんてそうない経験だろう。旦那を送ってくれたのに悪いことしたなとは思うけど、まぁいいや。
とりあえずそれだけ言って、PC立ち上げて帰宅の報告ツイートをして、お風呂入って倒れるように寝た。
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22時ごろ、私鉄や地下鉄が動き始めた。
結局4本ほど見送って、5本目の電車にようやく乗ることができた。
すごい。動いたことにびっくりする。
銀座線沿線に住む仲のいい同期が「帰れないなら泊まりに来る?」と言ってくれる。ありがたい。
動いてる電車を使えば家から5kmくらいまではいける。旦那が車だろうから迎えに来てくれれば帰れる、と思って何度か電話。
22:40、ようやくつながった!!と喜び、迎えに来てくれるかと聞いたら後輩と飲んでやがった。
何してんだおまえwww運転できないじゃないかwwwwwwwwww
仕方ないので旦那に助けてもらうのはあきらめて情報収集。どうやらバスも出てるようだ。
しかし長い道のりになる。
同期の家に行くか、会社に泊まるか、帰るか。結構まじめに悩む。
が、なんか妙なテンションになっている私。
「せっかくだからこの状況で帰ってみるか…」
「二度と経験できないだろうし、帰宅困難者満喫するか…」
「つーかぶっちゃけやってみたい!!」
という不純というかなんというか今思えばお前バカじゃねーの?と思うほどの軽いノリで、家に帰ることに決めた。
意を決して高層階から階段で降りる。
下りなので大して息が上がったりはしないが、日頃運動不足の身。明日は筋肉痛だろうなと思う。
たまに上ってくる人とすれ違う。
いつもは無言で通り過ぎるところだが、「お疲れ様ですー」「気をつけて!」と声をかける。息を切らしながら「ありがとうございます」と答えてくれる彼ら。
10階までおりたところで、少し前を歩いてた見知らぬ人が待っててくれて「ここからエレベーター動いてるみたいですよー」と教えてくれた。優しさに涙。
お礼を言うと、彼は「いや僕も教えてもらったんで」とその前にいる人を指した。そこから彼らとともにエレベーターで降りる。
エレベーターの中は4人くらいだったのだが、「何階から降りてきたんですか?」「40階ですー」「うわー、それ聞くだけで気持ち悪くなる」なんて会話をした。
もちろん、全然知らない人。普段は知らない人と話したりなどしないのに、なぜだろう、誰からともなく声をかけ合っていた。
1階に到着し、「泊まる?」と聞いてくれた同期と落ち合い、私が持参した路線図とアナウンスされる運行状況を聞いてそれぞれ帰るルートを確認する。
エレベーターの中は4人くらいだったのだが、「何階から降りてきたんですか?」「40階ですー」「うわー、それ聞くだけで気持ち悪くなる」なんて会話をした。
もちろん、全然知らない人。普段は知らない人と話したりなどしないのに、なぜだろう、誰からともなく声をかけ合っていた。
1階に到着し、「泊まる?」と聞いてくれた同期と落ち合い、私が持参した路線図とアナウンスされる運行状況を聞いてそれぞれ帰るルートを確認する。
その時銀座線は止まっていたのだけど、彼女は他の路線でもなんとか帰れるとのこと。私もバスが動いていることを信じて自宅に向かうよ、と告げる。
夜遅いから歩いて帰らないようにしよう、とお互い確かめ合い、駅で別れた。ちょうど24:00くらいだった。
帰宅は予想以上に困難だった。
丸ノ内線は乗るのを躊躇するほどに混雑していて、並んでいる列がほんの少しずつしか進まない。ひとつのドアあたり7人くらいずつしか乗れない。
時間がかかるし、ひとりなので待ってる間ヒマである。
電車を待つ間、会社を出る前に満タンに充電してきた携帯電話を取り出して実家の母や妹たちにメールした。妹たちは神奈川在住なので停電が心配。
帰るか迷っている友人に各路線の状況を教えたり、混雑状況をfacebookで共有したり。
ドコモの電波は思いのほかつながってくれた。たくさんの人が使っているせいで当然つながりにくくはあるのだけど、なんとかつながっていた。メールも送れた。あまり占有しないように少ししか試さなかったのもあるかもしれないけど、本当にすごいことだと思う。
結局4本ほど見送って、5本目の電車にようやく乗ることができた。
もみくちゃになって汗だくになる。
これが夏じゃなくてよかったと思う。
何回か乗り換えて、その乗り換えのたびにあちこちで混雑、行列。必死に誘導する駅員さん。座り込む人々。
普段なら15分で着く距離を1時間近くかけて進む。
この時私の心にあったのは地下鉄と私鉄への感謝だった。そして「JR仕事しろ!」と思っていた。
今ならJRが動けなかった理由もわかる。地下鉄と私鉄はエリアが狭いから安全確認が早く済むし、東北とつながってないから動かせたのだ。そして彼らは、その利を生かしてJRが動けなかった分をカバーしてくれたのだ。今ならそれがわかる。
でも、あのときはちょっと怒ってた。自分が帰れないからって怒ってた。
「今日は動きません!(キリッ」じゃねーよ、なに努力もしないでそんな早く復旧あきらめてんだよ、と。
まったく、今思えば余裕のないことだ。
早くそれを公表したから駅に人があふれずに済んだ(というかマシだった)のかもしれない。人々は早めにあきらめることができて、会社や避難場所に留まれたのかもしれない。今ならそれがわかるのに。
そんなこんなでもみくちゃになりながらも、ようやく自宅から5kmの駅に着いた。
夜中の2時半を過ぎていた。
安否確認名簿を作っている隣で流れ続けているニュース。
どのチャンネルにしてもニュース。あのテレビ東京ですらニュース。いつか2ちゃんで見た「テレビ東京がアニメ放送を中止してニュース流したら日本が終わる」という冗談が現実になってることに戦慄を覚える。
そして赤く染まったままの日本地図の輪郭。
いつのまにか津波警報じゃなくて「大津波警報」になっている。
その津波が綺麗に整備された田畑を飲み込んでいく。道を走る車たちに襲いかかる。見ていられない。
映像のすさまじさに呆然としていると、隣にいた男気あふれる部長が私に言った。
「実家が東北の社員、何人いる?家族は大丈夫なのか、こんなの見てたら心配だろう…家族の安否確認も早くやりなさい」
そうだ、ボーっとしてる場合じゃない。
その声に我に返って安否確認名簿を埋める作業に戻る。
160人の中に、東北出身者がひとり。あの瞬間からずっと実家に電話をかけ続けている。
しかし当然のようにつながらない。
他に、奥さんの実家が東北の人が2人。こちらは奥さんが連絡を取る役目を担っているようだ。
自宅や家族への連絡は私が安否確認をしているうちにほとんど終わっていて、みんな特に問題ないことを確認していた。
で、ここで気付く。私、家族に安否確認してない!(笑)
なんだよみんな、いつのまに!てゆーか私てんぱりすぎだろ、と思いながら携帯電話を手に取るとメールが1通。旦那から。
「おれ大丈夫ー。そっちも大丈夫かな?」という簡潔なもの。時間を見ると結構早い。だからちゃんとメール届いたのか、あいつやるな…と思いながら「大丈夫!帰れるかが微妙!」と返信。いつ届くかはわからないけど、夜には届くだろう。
実家の母や妹たちにはどうしようかなー、としばし考えて、メールするのをやめた。どうせ今は届かない。夜落ち着いてからの方がいい。
かわりに、災害伝言板に登録。
家族に災害伝言板の使い方をちゃんと教えておけばよかった、と少し後悔する。
安否確認が少しおちついて、作業をしながら耳に入ってきていた「原発がやばい」の声にようやく追いついた。
15時頃に社長からの召集で緊急会議に出向いた上司たちが、何度か戻ってきて指示を出していた。
はじめは被害状況の確認。
15分ほどして電力の問題にぶち当たる。
電気が止まるとサービスが止まる。今インフラを止めたらさらに被害は拡大する。止めるわけにはいかない。
一気に仕事モードに入る社員たち。
いつもは酒飲んで管巻いてカラオケ行ったらピンクレディーとか乱舞してる彼らの仕事スイッチが入る。
原発の前にまず神奈川が停電していることが大問題になった。
神奈川のお客様のサービスを守るために何ができるか。東北をどうやって助けるか。ボスから下っ端まで駆け回っている。
いつもは我が部に足を運んだりしない重役の方々が降りてくる。
ありえないほどの緊迫したムードに、今日は帰れないことを覚悟した彼ら。
そして、震災のため通常業務が止まってしまった他の社員たちはテレビに釘付け。
「JRは一日動きません」と情報がテレビのテロップに流れて、「あーこりゃ帰れないわー」とこちらも帰宅をあきらめたりしていた。
何度も来た余震でビルは大きく揺れ、地震酔いになる人も多数。
その間私は、寝袋用意したり麦茶作ったり夜食確保したり、働く人達用の雑務に追われていた。
18時。我が社の定時時間が来る。家が近くて徒歩で帰宅できる人たちが意を決して帰りはじめる。
19時。総務部から「非常用食品配っていいよ」という指示が出る。
正直に言うと、このくらいからちょっと非日常を楽しんでしまっていたかもしれない。
わーい、とうちの部の分をみんなで取りに行き、運んで分配。缶に入ったビスケットと栗ごもく御飯。
ビスケットはおいしい。
栗ごもく御飯は、「…食べれる!」って感じ。
それでもエレベーターの止まった高層ビルにいる私たちにはありがたかった。コンビニに行くこともできなかったから。
配り終わったあたりで、東北に実家がある社員から「親父と話せました」という報告が入った。
あああああーーーーよかった!!!マジでよかった!!
みんなで胸をなでおろす。
そしてようやく、私の仕事はひと段落した。
ネットを見る時間ができた。
非常食を食べながら、別のフロアにいる同期から飛んできていたメールにレスを返す。21:49。
「なんかやることあるなら手伝うよ!」と、じっとしていられない様子。
しかし私の仕事は落ち着いてしまったし、仕事であたふたしているチームにまざっても混乱するだけだし、彼らのためにできることは「呼ばれたときに支援できるよう待つ」ことだけ。
仕事がある社員は超いそがしく、仕事のない社員はネットやテレビに釘付けで情報を集める。
しばらくそんな時間が過ぎた。
たくさんのメールに返信して、ネットで情報収集。
ここではじめて震災後のつぶやきをした。
ちょうど会社を休んでいた後輩から「無事でよかった!」というリプライが飛んできて、彼女の安否も確認。家でひとりとか心細かっただろうな、と思う。
東京タワーのアンテナが曲がった、と聞いて、窓のそばから見てみる。
暗くてあんまりわからない。
同じ窓から下を眺めると、車道が渋滞のテールランプで真っ赤に染まっていた。
続きます。
Tweet
どのチャンネルにしてもニュース。あのテレビ東京ですらニュース。いつか2ちゃんで見た「テレビ東京がアニメ放送を中止してニュース流したら日本が終わる」という冗談が現実になってることに戦慄を覚える。
そして赤く染まったままの日本地図の輪郭。
いつのまにか津波警報じゃなくて「大津波警報」になっている。
その津波が綺麗に整備された田畑を飲み込んでいく。道を走る車たちに襲いかかる。見ていられない。
映像のすさまじさに呆然としていると、隣にいた男気あふれる部長が私に言った。
「実家が東北の社員、何人いる?家族は大丈夫なのか、こんなの見てたら心配だろう…家族の安否確認も早くやりなさい」
そうだ、ボーっとしてる場合じゃない。
その声に我に返って安否確認名簿を埋める作業に戻る。
160人の中に、東北出身者がひとり。あの瞬間からずっと実家に電話をかけ続けている。
しかし当然のようにつながらない。
他に、奥さんの実家が東北の人が2人。こちらは奥さんが連絡を取る役目を担っているようだ。
自宅や家族への連絡は私が安否確認をしているうちにほとんど終わっていて、みんな特に問題ないことを確認していた。
で、ここで気付く。私、家族に安否確認してない!(笑)
なんだよみんな、いつのまに!てゆーか私てんぱりすぎだろ、と思いながら携帯電話を手に取るとメールが1通。旦那から。
「おれ大丈夫ー。そっちも大丈夫かな?」という簡潔なもの。時間を見ると結構早い。だからちゃんとメール届いたのか、あいつやるな…と思いながら「大丈夫!帰れるかが微妙!」と返信。いつ届くかはわからないけど、夜には届くだろう。
実家の母や妹たちにはどうしようかなー、としばし考えて、メールするのをやめた。どうせ今は届かない。夜落ち着いてからの方がいい。
かわりに、災害伝言板に登録。
家族に災害伝言板の使い方をちゃんと教えておけばよかった、と少し後悔する。
安否確認が少しおちついて、作業をしながら耳に入ってきていた「原発がやばい」の声にようやく追いついた。
15時頃に社長からの召集で緊急会議に出向いた上司たちが、何度か戻ってきて指示を出していた。
はじめは被害状況の確認。
15分ほどして電力の問題にぶち当たる。
電気が止まるとサービスが止まる。今インフラを止めたらさらに被害は拡大する。止めるわけにはいかない。
一気に仕事モードに入る社員たち。
いつもは酒飲んで管巻いてカラオケ行ったらピンクレディーとか乱舞してる彼らの仕事スイッチが入る。
原発の前にまず神奈川が停電していることが大問題になった。
神奈川のお客様のサービスを守るために何ができるか。東北をどうやって助けるか。ボスから下っ端まで駆け回っている。
いつもは我が部に足を運んだりしない重役の方々が降りてくる。
ありえないほどの緊迫したムードに、今日は帰れないことを覚悟した彼ら。
そして、震災のため通常業務が止まってしまった他の社員たちはテレビに釘付け。
「JRは一日動きません」と情報がテレビのテロップに流れて、「あーこりゃ帰れないわー」とこちらも帰宅をあきらめたりしていた。
何度も来た余震でビルは大きく揺れ、地震酔いになる人も多数。
その間私は、寝袋用意したり麦茶作ったり夜食確保したり、働く人達用の雑務に追われていた。
18時。我が社の定時時間が来る。家が近くて徒歩で帰宅できる人たちが意を決して帰りはじめる。
19時。総務部から「非常用食品配っていいよ」という指示が出る。
正直に言うと、このくらいからちょっと非日常を楽しんでしまっていたかもしれない。
わーい、とうちの部の分をみんなで取りに行き、運んで分配。缶に入ったビスケットと栗ごもく御飯。
ビスケットはおいしい。
栗ごもく御飯は、「…食べれる!」って感じ。
それでもエレベーターの止まった高層ビルにいる私たちにはありがたかった。コンビニに行くこともできなかったから。
配り終わったあたりで、東北に実家がある社員から「親父と話せました」という報告が入った。
あああああーーーーよかった!!!マジでよかった!!
みんなで胸をなでおろす。
そしてようやく、私の仕事はひと段落した。
ネットを見る時間ができた。
非常食を食べながら、別のフロアにいる同期から飛んできていたメールにレスを返す。21:49。
「なんかやることあるなら手伝うよ!」と、じっとしていられない様子。
しかし私の仕事は落ち着いてしまったし、仕事であたふたしているチームにまざっても混乱するだけだし、彼らのためにできることは「呼ばれたときに支援できるよう待つ」ことだけ。
仕事がある社員は超いそがしく、仕事のない社員はネットやテレビに釘付けで情報を集める。
しばらくそんな時間が過ぎた。
たくさんのメールに返信して、ネットで情報収集。
ここではじめて震災後のつぶやきをした。
ちょうど会社を休んでいた後輩から「無事でよかった!」というリプライが飛んできて、彼女の安否も確認。家でひとりとか心細かっただろうな、と思う。
東京タワーのアンテナが曲がった、と聞いて、窓のそばから見てみる。
暗くてあんまりわからない。
同じ窓から下を眺めると、車道が渋滞のテールランプで真っ赤に染まっていた。
続きます。
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あの日から3ヶ月。
東京は少し暗くはなったものの存外普通で、まるであの日がなかったみたいに思うことが、ある。
そしてそれがとても怖い。
忘れてはいけない、そう思うのに。
人は忘れるものだけど。忘れることで、慣れることで精神のバランスをとって、立ち直っていくものなのだとはわかっていても、忘れてはいけないと私の中で警報が鳴る。
だから、2011年3月11日の自分を記録に残しておきたいと思う。
全部忘れてしまう前に。
__
あの日は14時半から社内打ち合わせが入っていた。
もうすぐ異動だと浮かれる上司を揶揄しながら引継ぎをしているときにビルが大きく揺れたのだ。
はじめは「あ、地震だー」くらいだった。
それが徐々に大きく揺れ、あわてた私はまずは自席へ向かった。状況を把握するために自席の近くにあるテレビをつけようと思ったのだ。
うちの会社はインフラ系。うちの部は技術系・縁の下の力持ち部門。そして、私の仕事はこの部署の統括。やばい、設備止まったらやばい、お客様影響が出るかも、そんなことを思った。だから情報を得なくては、と。
でも、テレビはつけられなかった。近くまで行ったところで最大の揺れが来て、立っていられなくなった。座り込んで揺れがおさまるのを待つことしかできなかった。
どれくらい時間がたったのかはよくわからない。
たぶん、数分だったように思う。
おさまってようやくつけたテレビには、最大震度7のテロップが出ていた。
津波警報で日本地図の輪郭が赤く染まる。
大きい地震だ。でも震源地は東京ではない。直下型ではない、都市機能が壊滅ってことはきっとない、そう判断して、立ち上がった。
私の仕事はこの部署の統括。
まずは社員の安全確認をしなくては、と。
時計を見るとちょうど15時だった。
みんな大丈夫ですか、と、上司と一緒に部署を歩いて声をかける。
天井の一部が落ちていた。
書棚の扉は全部開いて、整理されたファイルが外に飛び出している。
書棚には鍵をかけよう、落ちやすいものは中にしまおう、誰からともなく声をかけ合って自然に片づけをする我が部の社員たち。
大きな余震に備えて出入り口の扉は開け放たれ、扉が開いたままの状態のときに鳴る警告音が響く。
ビルがギシギシときしむ。
私は各課長たちに部下の安否確認をお願いしてまわり、名簿でひとりひとりチェックしていった。
外出している社員や、夜勤明けで帰った社員がたくさんいる。
東京でも死者が出ているというニュースを横目に、大丈夫だよね、きっと無事だよね、と祈るように思いながら、ひとりひとり。
その中で、どうしてもどこに行ったかわからない女子がひとり。
地震の前から席に居なかったんだけど、打ち合わせや外出の予定もない。
トイレや近くの部にいないか確認する。いない。
すごい心配。不安定な気持ちの中で、駆け回る。
彼女の上司が手分けして彼女を探す中、今度は社員の帰宅経路の確認と家族の安否確認に追われる。
最近は個人情報の関連で各社員の自宅の場所を記した名簿がないのだけど、あえてそれを作った。それぞれの通勤経路、交通手段。そして、自宅・実家の場所、破損状況。手分けしてその情報を埋めていく。
それに取り掛かってしばらくして、居なかった彼女が見つかったという連絡が入った。
ちょうど1階のコンビニに買い物に行っていたのだという。
エレベーターが止まった巨大ビル。彼女の上司と同僚が2人で1階まで彼女を迎えに行き、一緒に階段であがってきた。じつに40階近く。
これで、全員。160人全員無事だった。
汗だくの3人の顔を見て心底ホッとしながら時計を見ると、16時になっていた。
続きます。
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東京は少し暗くはなったものの存外普通で、まるであの日がなかったみたいに思うことが、ある。
そしてそれがとても怖い。
忘れてはいけない、そう思うのに。
人は忘れるものだけど。忘れることで、慣れることで精神のバランスをとって、立ち直っていくものなのだとはわかっていても、忘れてはいけないと私の中で警報が鳴る。
だから、2011年3月11日の自分を記録に残しておきたいと思う。
全部忘れてしまう前に。
__
あの日は14時半から社内打ち合わせが入っていた。
もうすぐ異動だと浮かれる上司を揶揄しながら引継ぎをしているときにビルが大きく揺れたのだ。
はじめは「あ、地震だー」くらいだった。
それが徐々に大きく揺れ、あわてた私はまずは自席へ向かった。状況を把握するために自席の近くにあるテレビをつけようと思ったのだ。
うちの会社はインフラ系。うちの部は技術系・縁の下の力持ち部門。そして、私の仕事はこの部署の統括。やばい、設備止まったらやばい、お客様影響が出るかも、そんなことを思った。だから情報を得なくては、と。
でも、テレビはつけられなかった。近くまで行ったところで最大の揺れが来て、立っていられなくなった。座り込んで揺れがおさまるのを待つことしかできなかった。
どれくらい時間がたったのかはよくわからない。
たぶん、数分だったように思う。
おさまってようやくつけたテレビには、最大震度7のテロップが出ていた。
津波警報で日本地図の輪郭が赤く染まる。
大きい地震だ。でも震源地は東京ではない。直下型ではない、都市機能が壊滅ってことはきっとない、そう判断して、立ち上がった。
私の仕事はこの部署の統括。
まずは社員の安全確認をしなくては、と。
時計を見るとちょうど15時だった。
みんな大丈夫ですか、と、上司と一緒に部署を歩いて声をかける。
天井の一部が落ちていた。
書棚の扉は全部開いて、整理されたファイルが外に飛び出している。
書棚には鍵をかけよう、落ちやすいものは中にしまおう、誰からともなく声をかけ合って自然に片づけをする我が部の社員たち。
大きな余震に備えて出入り口の扉は開け放たれ、扉が開いたままの状態のときに鳴る警告音が響く。
ビルがギシギシときしむ。
私は各課長たちに部下の安否確認をお願いしてまわり、名簿でひとりひとりチェックしていった。
外出している社員や、夜勤明けで帰った社員がたくさんいる。
東京でも死者が出ているというニュースを横目に、大丈夫だよね、きっと無事だよね、と祈るように思いながら、ひとりひとり。
その中で、どうしてもどこに行ったかわからない女子がひとり。
地震の前から席に居なかったんだけど、打ち合わせや外出の予定もない。
トイレや近くの部にいないか確認する。いない。
すごい心配。不安定な気持ちの中で、駆け回る。
彼女の上司が手分けして彼女を探す中、今度は社員の帰宅経路の確認と家族の安否確認に追われる。
最近は個人情報の関連で各社員の自宅の場所を記した名簿がないのだけど、あえてそれを作った。それぞれの通勤経路、交通手段。そして、自宅・実家の場所、破損状況。手分けしてその情報を埋めていく。
それに取り掛かってしばらくして、居なかった彼女が見つかったという連絡が入った。
ちょうど1階のコンビニに買い物に行っていたのだという。
エレベーターが止まった巨大ビル。彼女の上司と同僚が2人で1階まで彼女を迎えに行き、一緒に階段であがってきた。じつに40階近く。
これで、全員。160人全員無事だった。
汗だくの3人の顔を見て心底ホッとしながら時計を見ると、16時になっていた。
続きます。
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東日本大震災から、2か月と少し。
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頑張ろう、と一丸となっていたあのときから少し時間が経ちました。
今も私のツイッターのタイムラインには、東北からの声、それを激励する声、自分に何ができるだろうかと自問し、行動に起こすさまが流れてきます。
震災直後から少し形は変わったかもしれないけど、たくさんの人たちが今でも自分の気持ちを記している。
震災直後から少し形は変わったかもしれないけど、たくさんの人たちが今でも自分の気持ちを記している。
その何気ない言葉に、私はたくさんの勇気をもらいました。
綺麗な言葉だけじゃないけど、辛いこともたくさんあるけど、それでも。
だからその気持ちを動画にしてみました。
綺麗な言葉だけじゃないけど、辛いこともたくさんあるけど、それでも。
だからその気持ちを動画にしてみました。
どうか、多くの人に届きますように。
<Special Thanks>
・つぶやきを引用させていただいた皆様
・イラストを快く提供してくださった 「かっちゃん」さん
・写真素材をいただいたサイト
(写真素材 足成 他 ニュースサイト多数)
<音楽>
・Dragon Ash "Viva la revolution"
・初音ミク "ハジメテノオト" (打ちこんだ人:ハナさん)
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昨日の続き。
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今後の日本のエネルギー政策について、私の意見を書いておきます。
皆さんに勇気を持って意見を言えと言っておいて、自分は何も書かないんじゃ説得力がなさすぎますから(笑)
【私の意見】
・原発を段階的に縮小しつつ、他のエネルギー発電を採用(20年計画くらい)
・火力発電、地熱発電、バイオマス発電をベースに、各種発電を導入して負荷分散
・原発もすぐには無くせないから、事故リスクを減らすための設備投資はする
・税制整備を急ぐ。エネルギー研究には助成金出す
・個人住居には太陽光発電装置をつけることを推奨
・東西の電圧差はなくす、もしくは変換機を導入
(これが一番費用がかかるかも。でも一番はじめに決めなくてはいけない)
・必要な費用は、今までに案として出ていたものを全部やる。全部。特別扱いなし。
ひとことで言うと「負荷分散」です。
どの発電方法に不都合が生じても、どの地域が被災しても送電して助け合えるようにしておく。
併用すると開発や運用に余分なお金はかかりますが、地震大国、台風も来る、資源もない、というわが国の状況を考えるとやむをえない。
必要な費用は増税して対応。
そのための消費税UPなら、私は受け入れる覚悟があります。
消費税だけじゃありません。
年金の受給年齢もあげなくては無理です。もちろん、議員年金も含みます。
なんなら議員年金は金額も減らしましょう。
公務員の給料も少しずつでいいから減らしましょう。
知事や市長たちの退職金(4年に一度1200万~5000万)は半分にしましょう。
サラリーマンの保険料を4割負担まであげましょう。
余力のある民間企業は、一時的にではなく継続的に支援をする方法を考えるといいです。
つまり、国民全員がちょっとずつ捻出する。その覚悟を決めるんです。
少し前に聖域なき構造改革と言っていた首相がいましたが、今もう一度それを。
そして、全ての官庁の経費を一律10%カット。
今、国は企業に「夏の電力不足に向けて、企業消費電力を25%カットするように」と指示を出しています。規模の大小に応じてパーセンテージは変わりますが、これ、相手がインフラ屋だろうと銀行だろうと病院だろうと対象です。問答無用です。
そして、この国のサラリーマンたちはその方法を真剣に考え、やってのけようとしているのです。素晴らしいことです。
だから、それと同じことを国の経費についてもやるのです。
民間だけが血を流すのではないですよ。
国民全員なのですから、国も同様です。
私はやればできると信じてる。この国の官僚は優秀なのだから、むしろやってのけて欲しい。
今までの案は私が考えたことですから、皆で考えればたくさんアイディアがあるはずです。
この国は保守的だけど、今は緊急事態なわけですから、それを理由に今までできなかったことができると思うのですよ。
それを全部やったらできるんじゃないかな。
国債の問題も解決できちゃうかもしれない。
楽観的すぎるかもしれませんが、そんな希望を持って取り組んでいきたいと思うのです。
だからね、「原発反対!」「でも消費税の増税も反対!」って叫ぶのはとりあえず待ってみましょう。
気持ちはわかるよ。でもあんまり怒らないで、ちょっとだけ怒りをおさめて、この国の指揮を取ってる人たちに協力してあげて欲しいのです。
ちょっと話がそれました。お金の話じゃなくて原発の話だった。
とりあえず、原発反対と叫んでいるそこの人。
今その辺を選挙カーで走っている候補者たちが、エネルギー政策についてどんな姿勢でいるか調べたらいいですよ。
地方選挙前半のときは「候補者のエネルギー政策を知りたい有権者の会」が調べてまとめてくれたのですが、さすがに地方選では候補者数が多すぎて無理なのだろうと推測できますので、各自で。
で、自分の意見と似た人に投票するといいです。
ネットで暴れまわるのはそのあとだ。話はそれからだ。
反対だけしてたら何も動かない。
だから私は代替案を考える。
素人ですけど、このことに意味があると信じてる。
私たちは無力なんかじゃない。いくらでもできることはあります。
それぞれできることをやりましょう。
この国がもう一度立ち上がるために。
【参考:国別エネルギー事情】
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人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい。
(アルベルト・アインシュタイン)
ここ1ヶ月、原発について知らなすぎたなと反省してました。
便利に電気を使い、それがどこから来てるかとか考えたこともなかった。
でも「原子力発電所」って物が日本のどこかにあるってことは知ってたわけです。つまり、目をそむけてただけ。
そんなわけで、どうすればいいのかと代替案考えてました。
各エネルギー発電に関して調べたので、超簡単にまとめてみます。
________
【水力発電】
メリット: クリーン。電気を作り出すことによる害はない。
デメリット: 送電ロスが大きい。「ダムに沈む村」が問題になる。ダムに寿命がある。
【風力発電】
メリット: 汚染物質が出ない。
デメリット: コスト高い。低周波公害がある。安定性低すぎ(無風のときは使えないから)。
【火力発電】
メリット: 燃料が多岐に渡るので資源輸入が負荷分散できる。ロスも少ない。
デメリット: 大気汚染(CO2排出量が増えてしまう)。
【太陽光発電】
メリット: クリーン。汚染物質が出ない。設備の構造が簡単。
デメリット: コスト高い。広い面積が必要。安定性低い(ずっと日が出てるわけじゃないから)。
【地熱発電】
メリット: 燃料費不要、CO2排出量が火力発電の1/20
デメリット: 地盤沈下、大気汚染、人工地震の誘発。調査にすげー時間がかかる
【潮力発電】(潮の満ち引きを利用する発電)
メリット: 燃料がいらない、大気汚染がない。発電量が予測しやすい。
デメリット: 設備の維持メンテにコストがかかる。海の生態系に悪影響を与えうる
【バイオマス発電】(ゴミとか廃材を燃やしたエネルギーで発電)
メリット: 循環型方式なのでクリーンで環境に優しい。
デメリット: コスト高い。木の伐採、農作物価格の上昇がありえる
_________
何事にもメリットとデメリットがあるし、「絶対安全なエネルギー」なんてただの妄想だってことです。
それでもどれかを選ばなくてはいけないんだから、みんな自分の意見を持つべき。
そしてその意見は国と電力会社に伝えなくては意味がないので、
お金持ってる人は株主になって電力会社に提言。
お金持ってない人は選挙で意見の同じ候補者に投票して、その人を支援。
これで本当に意味のある反対運動になるわけです。
アホみたいに「原発はんたーい!」だけ言ってればいいってことじゃないです。
仕事でもよく言われるでしょう?「代替案を持って来い」と。
「代替案を考えるのは専門家の仕事だ」と言う人もいるけど、それは違いますよ。
それだと、「じゃ、原発にしよう」と決めるのも専門家の仕事だということになります。口を出す権利は奪われてしまう。
だからその考え方は捨てた方がいい。
これは東電の問題じゃなくて、日本という国の問題です。
国のエネルギー政策を国民が考えちゃいけないなんてことありません。
文句があったら言うのは当たり前だし、いいアイディアが浮かんだら提供するのが当たり前です。
日本に住んでいる国民として、税金を納めているひとりの人間として、国と一緒に考えるのです。
それに、代替案を言わない人の意見は捨てられます。
「何も考えないくせに、何もやらないくせに、文句ばっかりうるせーな」と思ったこと、あなたもあるはず。
誰もそんな人の話は聞いてくれないのですよ。
だから勇気を出して、自分の考えを言ってみましょう。
だから勇気を出して、自分の考えを言ってみましょう。
自分の意見が間違ってたらどうしよう、と思うと怖いですよね。
でも別に間違ってたっていいんです。
私たちは専門家じゃないから間違うのは当たり前だし、間違ってたらそれを認めて是正すればいいんだから。
そして、間違いはより分けた上で一番いい方法を専門家が選んで導入してくれます。
我が国の技術者は優秀ですから。
だからね、「ずっと嘘だったんだぜ」とか歌ってる場合じゃねーんですよ。
なにその「おれ関係ないもん悪くないもん」みたいな主張。
「さすが!ロックだ!」とか言われても…ロックってそんなもののことなの?だとしたら全然かっこよくないよ全然。ロックなんてクソ食らえだよ。そんなものがロックならね。
最後に私の意見を書こうと思ったのですが、長くなってしまったので今日はここまで。
続きは明日!よろしければまた。
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