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プロフィール
HN:
Dropout Devil(でびお)
自己紹介:
いかつい顔面を持つ31歳悪魔系会社員。
間違っても「小悪魔系」などではございません。

脱サラしてバーテンダーになるのが夢。
Bar開業までの日々をつづっていましたが、我慢できずBAR ARK ROYALの店長として1日営業をしたりしてます。
2012年7月に第一子を出産。子育て後に復帰します。
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そもそもの前提を疑うことの重要性というのを噛み締める瞬間がある。
「テレビが言ってることは本当か?」とか、
「米軍基地をどこに移設しようかもめてるけど、そもそも基地って必要なの?」とか。

しかし、議論のときにそもそも論を始めると、その主題(目的である場合もある)から話がそれてしまって何も生み出さないこともある。
「カレーを作るのにどうすればいいか」という議論をしたいのに、「そもそもなんでカレーなの?」とか言い出したらまとまるものもまとまらん、ということ。
議論すること自体が目的であり、それを円滑に行う必要がある場合は「そもそも論」を切り捨てる必要がある。

逆に、目的が「本質を探るため」であり、議論がその手段でしかない場合は「そもそも論」は超重要。
「母の日にお母さんに喜んでもらうことをしよう」が目的で、「じゃあ夕飯を作るのはどうかな」⇒「楽だからカレーにしよう」⇒「カレーを作るにはどうすればいいか」という流れで主題が決まった場合、
「なんでカレーなの?お母さんの好きなチャーハンにしようよ」
「いや、夕飯作るのもいいけど肩もみの方が喜ぶんじゃない?」
「お父さんにも意見を求めるべきだと思う!」
…なんて具合にそもそもの話になるのは有り。全然有り。この違い。

何が言いたかったかって言うと、議論は目的が「議論そのもの」であることも多いから難しいなーと思う、ということ。
そして、主題の置き方がものすごく重要だと思うのです。

たとえば「少子化による年金問題をいかに解決するか」という主題があったとき、それを議論するのは無駄ではないわけです。
ただ、年金問題は少子化によって未来に起こるであろう問題よりも、今、支払いが正確に行われていないという「現システムの機能不全」に問題がある。
この場合、絶対に議論が発散するわけです。
少子化について語りたいなら「少子化によって起こりえる課題をいかに解決するか」という主題にしなくてはいけないし、年金について語りたいなら「年金問題はなぜ起こるのか、いかに解決するか」としなくてはいけない。
主題の設定ミスと言わざるを得ませんね。つまりホスト側のミス。

結論。
議論の場を提供する側(ホスト側)は、主題をできるだけ目的に沿ったものにすること。
議論する側(ゲスト側)はその議論の本質を見極めること。
本質を探る目的の議論ならそもそも論をしてもいいが、議論が目的の議論においてはおとなしく乗っかとく方がよい。

ただ、個人的には「議論そのものが目的である議論」なんてつまらないな、と思います(議論の訓練である場合はまだマシですが、それもどうかと思うんだよね実際)。

というわけで、勝間VSひろゆき問題は、放送する以上議論そのものが目的だったのだと思うので、ゲストの主観と違いすぎる主題を採用した上、途中で是正できなかったホスト側にミスがあったと思います。
しかし、ゲスト側も今はそもそも論をすべきところではない、というのをもうちょい汲んであげたらよかったと思う。ゲストであるひろゆき氏の「そもそも論」はすごく勉強になったけど。

ホストとゲストが歩み寄らないと議論にならない、という話。
(微妙に古い話を持ち出して申し訳ない。これが言いたかっただけなのです。)

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